今日3月31日、中居正広さんが30年弱所属したジャニーズ事務所を退所します。幅広い世代に愛され、アイドルとして走り続けた中居さん。今日あらためて中居さんの築いた歴史と功績を振り返り、その魅力を考察します。
「フラッシュの点滅にご注意ください」手書きのプラカードを掲げ、記者会見の重々しい空気を和ませ、記者の質問に丁寧に言葉を重ねた中居正広。2時間に及んだという会見(2020.2.21 テレビ朝日内)はバラエティ番組、もしくはトークライブのようだった。
グループの解散から3年。30年弱所属したジャニーズ事務所を3月31日で退社、新たに個人事務所のんびりな会を立ち上げて独立する。藤沢生まれのヤンチャな青年が青春時代をジャニーズ捧げ、トップアイドルグループのメンバーとして君臨。司会者としても複数の冠番組を持つまでになった。新たな門出を前に、これまでの軌跡を中居の言葉と共に振り返ってみたい。
人と違うことをする
「普通のアイドルとは違う、ちょっと変わったコンサートにしなきゃ」1991年の元日コンサートに向けたインタビューで語っていた。当時社会現象になったというほど人気を博した光GENJIの後輩としてデビューしたSMAP。CDが売れずコンサートでも空席が目立つなど売れない時代があった。
SMAPのデビュー当時は音楽番組が相次いで終了し、バラエティ番組に活路を見出してきた。思うような環境ではなかったが、それを逆手に取ったのがSMAPであり中居だった。中居はグループ活動と平行して司会者を目指した。高校時代にドラマで共演した島崎和歌子に、「二枚目役を木村拓哉に任せて、俺は司会者を目指す」と宣言したという。
デビュー前に光GENJIのステージでマイクを渡されたが全しゃべれす、ジャニー喜多川氏から潰す気か!と叱られたことがあった。それでもキャラクターを生かすこと、当時はまだ同世代では目指す人がいなかったことから司会者を目指した。1993年「キスした?SMAP」(テレビ朝日系)をはじめ、複数の音楽番組で司会を担当。1996年放送深夜の冠番組「中居くん温泉」(読売テレビ)がスタートするとお笑い芸人との共演がぐんと増えた。
中居は番組に様々なゲストを招いた。それを機に再ブレイクした芸能人も少なくないことから、タレント再生工場と呼ばれたこともあった。冠番組の司会者として得た力は、視聴者を楽しませること、司会者として共演者がよくみえるようにすること、かつて音楽番組への出演が叶わなかった過去を繰り返さないようにしていたとも解釈できる。
誰かと比べて自信を失くすこともあるが、人と違うことを目指してみる選択肢もあることを示していた。
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March 31, 2020 at 05:03AM
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